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父の吸引機も家に届き、兄は使い方を覚え実際使い、酸素吸入機は地震などのときのための緊急用のものまで運び込まれ、
器具が揃って準備万端になったが…
父は昨夜逝ってしまった。
私は入院先からあと一歩間に合わなかった。
器具に囲まれての生活は、結局一日だけ。
器具を使用しつつの介護は、これまでのように笑ったり楽しかったりするものと違い、もっと深刻なものになっていったかと思う。
家族にそんな思いをさせないように…と、父が思いやってくれたのだろうと母や兄と話した。
兄はその前の晩、スポンジに染み込ませたウイスキーを父に飲ませてあげたという。
最初は嫌がるそぶりをみせたが、酒だとわかったのか、途中から吸い付いて、微かに嬉しそうな表情をみせてくれたという。
兄は、呑兵衛の父に酒を飲ませてあげられたことですごく満足感があったようだ。
私は、父の最期の一週間にほとんどお世話できなかった。
最期の瞬間にも立ち会えなかった。
母や兄には
「本当によくやった」
と慰められたが
こんなときに身体を壊したことは、悔やんでも悔やみきれない。
この七十日ちょっと、悔いのないように…と思いきりしてあげたいことをしてきたが
マラソンで、40キロ地点まではトップを走っていたのに
完走できなかったような。
父のことを思えば、吸入したり吸引したり、嫌な思いが続かなくて良かったのだと思う。
頭では納得するが
まだまだ気持ちは納得できないし
整理もつかないし
実感もわかない。