四十九日

介護度5の認知症で寝たきりだった父を、六月に見送ってから約一ヶ月半が過ぎ、今日四十九日法要をすませた。



この日記では、施設から再び在宅介護に切り替え、家で父の最期を迎える日々を四月から綴った。


あらためて、我が家はなんと幸せだったことかと思う。


一日に四回、訪問介護サービスをうけ、週に二回、訪問診療。また、週に二回訪問看護も利用した。
それらのサービスを提供する施設が近所にあり、利用可能であったことがまずラッキーだった。


また、訪問介護を日に四回利用していても、二、三時間おきの体位交換や、なかなか食事をとってくれない父に栄養、水分を摂ってもらうこと…

これを母と兄と三人でできたことも恵まれていた。


兄は時間のある自営業、そして私も、父の具合が悪くなった六、七年前には、何かあったときに駆けつけることが難しい生放送の仕事は辞めた。
今は夕方には帰ってこられる非常勤の仕事をしている。


これがもしも、私と父の二人だけで…

私の稼ぎのみで父を世話しなくてはならなかったとしたら?


まず、一日四回の訪問介護サービスは無理。


介護や医療費を稼ぐだけ働くならば、日中は何もできなくなり、父に食事を十分にとってはもらえなかったはず。


費用がかけられないから介護保険の範囲内で…としたならば、食べられず弱っていくまま、それを受け入れるしかなかっただろう。



だが、そうなってしまうものなのだ。
兄の知人の方も、働かなくてはならないから全て介護は訪問介護に任せて、割りきっているとおっしゃっていたそうだ。



四月からの制度改正で、一回の訪問介護サービスが短くなった。


一時間で出来ていたこと…ご飯を炊いて、炊き上がったものを小分けにして冷蔵保存する、買い物をしてきて、それを調理する、など…


時間の短縮によってそれが出来なくなることが、生活に支障をきたすことになる利用者もいる。


そんな中、国は
「施設から在宅へ」
という方針だ。


家で最期を迎えること…
それは理想ではあるだろうし、そのための制度を整えることは、温かな方策のように一見思える。


しかしこの不況下、ふんだんに介護に金をつかえる家庭は恵まれている。

昔に比べたら、介護保険制度のお陰で助かる面は多々あるとしても。


十分満足いくように在宅でのケアを続けるというのは、介護保険制度を利用したとしても苦しいものだ。


我が家は、本当に恵まれていた。
介護保険を利用してもなお、約二十万の費用を捻出できたし、私も兄も、朝から晩まで仕事をしている状態ではなかったから。


有り難く利用した二十四時間の介護サービスや訪問診療…


私が一人で父をみていたら、まわっていかなかったことだ。


家族の誰かしらが父に付きっきりで、父のために生活ができた約二ヶ月、思い切り父の世話を出来たことは幸せだったと思う。
利用した制度に感謝はしつつ、この制度の下、辛い思いをなさっている方々も少なくないと感じ、納得のいかない気分にもなる。


結局、最後まで金次第であることは否めない。



我が家は父の最期を迎えるにあたって、家族皆で満足できるように過ごせたこと、その幸運に感謝することは忘れないようにしたい。


私は、父の通夜や葬儀でも一切涙は出ず、その後も、人知れず泣く…ということもなく。

自分は異常なのではないかとも考えたりしたが


今日の四十九日法要で、突然涙が止まらなくなった。
やっと、現実に向き合うことが出来たのかと思うので、久々に自分の覚え書きを記しておく。