「最強のふたり」


9月1日から公開のフランス映画「最強のふたり」を観てきた。
昨年フランスでは、国民の三人に一人が観たという大ヒット作だという。


事故で全身麻痺になった大富豪フィリップと、その介護者で、スラム出身の青年ドリスとの物語。
お涙頂戴感動ストーリーかと思う設定だが、終始ユーモア…ブラックともいえる笑いにあふれた作品で、大いに笑わせてもらった。


語弊があるかもしれないが
どうも「障害者」というと

「困難に立ち向かう偉いヒト」と扱わねばならない風潮があるように思う。


たとえば、障害者に向かって
「おまえはダメじゃん」
とは言いづらいような。



今、ロンドンパラリンピックが開催中だが
テレビ等で取り上げられる場合には、ことさらにその障害が取り上げられ、それを克服し努力をする姿に
「勇気づけられる」との姿勢が多いように思う。



確かに、パラリンピックに出場する選手は困難を乗り越えて努力している。

しかし、世界の場で戦うには、それは当然のことではないか?
讃えるならば、その身体能力の高さと鍛練だろう。


ひどい言い方かもしれないが、障害者が健常者より不便があり努力するのは当たり前のことである。



障害を持ってくさってしまったり絶望したり…健常者か否かにかかわらず勤労意欲すらわかないヒトがいるこの世の中、
目標に向かって努力する姿は素晴らしいかもしれないが


パラリンピックに出場するほどのエリート…選ばれしアスリートに対しては


「障害を乗り越えた」なんてことで誉め称えるのは失礼に感じてしまう。


ただ単に
「強い」
とか
「速い」とか。アスリートとして物凄い人達なのだと思う。



その上で、ダメならダメと、アスリートとしての評価をくだすべきだろう。
今回のロンドンオリンピックにおいて、男子柔道金メダルをとれなかったことについては批判があった。

パラリンピックにおいても、メダル獲得が期待された競技がそれをとりのがしたなら…

それは同様に批判すべきだ。



この「最強のふたり」で介護者となるドリスは、面接時に雇い主フィリップに対して

「ユーモアがない」

とバッサリ切り捨てる。
しかし、それは本当のこと。

そんな対応をするスラム出身のドリスに、かけ離れた境遇のフィリップは心を許していく。



「障害者」として、腫れ物を扱うようにされるよりかは

「人」として、思ったことが言える間柄であることが心地よい…と主人公フィリップは感じていることが示されていた。



この映画の主人公のフィリップは、自分を対等に扱う相手を喜ぶ、そんな誇り高い人。


で、そうはなれないダメ人間は多い。そのダメ人間が「障害者」であるからこそ…


何も言えない家族がいたりするのも現実。
不健康だ。




パラリンピック選手とは、たぐいまれな身体能力に加え、努力出来たエリートだ。


ただただ、その勝利を、記録を讃えたい。



そしてこの映画は実話に基づいた話だと知り

パラリンピック選手ではないけれど
主人公フィリップは、実に格好良い…と思った。