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和田京平レフリーが19日の両国大会を最後に全日本を去った。


自身の語ったフリー転身への経緯は、本当だとすると悲しい武藤とのやりとりだ。



全日本とは、もうすでにフリー契約であったとは。

全日本分裂、Noahの旗揚げのとき。



方舟に乗らずに、あえて泥舟にとどまったのは、
「馬場全日本」を残していきたかったからだと思う。



全日本プロレス」との看板がありながら、もうすっかり、その中身は様変わりした全日において


ほとんどは去っていった全日本プロレスファンのなかで残ったファンが、かろうじて武藤全日本を「全日本プロレス」と認識できていたのは、和田京平レフリーと、渕正信の存在であったと私は思う。
どれくらいそういったファンがいるかわからないが、少なくとも私はそうだ。



私は、大量離脱ののち、川田と渕がメインでシングルを闘った新生全日本のスタートは駆けつけたし、その年の後楽園ホールは全て観て応援した。
正直、寄せ集めレスラーの酷い試合も多かった。
しかし、プロレスファンとして「全日本プロレス」と看板を掲げる団体には頑張ってほしい。なくならないでほしい…


馬場という、日本のプロレス界における大きな存在が遺したものを、多少中身が変わったとて、守ってほしかったからだ。

しかしそれも、和田京平レフリーと渕正信(かつては川田も)がいるからこその、細い細い糸となってしまっていた「王道」の道だった。



和田京平レフリーは、会見で、渕もフリー契約となっていることを明かしている。


これは相当ショックだった。



もう、大部分のプロレスファンは、全日はもはや全日ではないと見切っていただろうが


私は、渕正信がいるんだから「まだ」全日本プロレスだ、だから頑張ってほしい…と思っていたのだ。思いたかった、というべきか。



組織が変わっていくのは仕方がないこと。経営からしたらそうかもしれない。


しかし、プロレスとは、そんなもんではないだろうと思うのは、オールドファンの懐古主義だろうか?


いくら全日本プロレスの看板があったとて

馬場とは全く関連もないレスラーたちのみの団体になってしまったものを
全日本プロレス」と呼んでよいとは思えない。


和田京平レフリーが、渕正信がいるからこそ、かろうじて全日本プロレスだったもの(私にとってはであるが)は


もうすでに存在していなかったなんて。



ショックだ。



「猪木イズム」という言葉はよく使われるが、馬場については、それに比べて「馬場イズム」というと、説明的に使われることはあっても、猪木ほど強烈に印象のある言葉ではないし、馬場はイデオロギー闘争などからは一歩退くというか、大きくどっしり構えて泰然としていたせいか



「王道」という言葉はあるものの
「馬場」という名前が、存在がどんどん忘れられていくような印象があり、そうしているのが当の全日本プロレスであるのが悲しい。



本当はずっと前に、わかっていたことなのだけれど…



馬場のつくった全日本プロレスというものは、もうどこにもないのだ。


Noahこそ全日本、王道、とするむきもあるだろうが、全日本プロレスの名を、看板を棄ててしまった時点で、それはない、と私は思う。
馬場の教えを受け継いでいることは嬉しく思うが、やはり看板を守ることは大切で重い。
それを放棄してしまったのだから。





名前だけの全日本プロレスが、看板は掲げ続ける。

馬場が気の毒だ。





※私はレスラーに対しては、尊敬を込めて敬称なしで呼ばせて頂いております。ご理解ください。「馬場さん」とは呼びたくないのです。