父の納骨

本日、父の納骨を終えた。少し長めに父のお骨を家に置いており
父のお骨を置いた部屋に、産まれて初めて、母と布団を並べて眠った日々だった。



お骨がそばにあること…なんだかそれが母としては安心だったりしたようで、父が亡くなったあとでも思いの外気丈に母は過ごしていた。


しかし、父がお墓の下に納まるという段階になると、通夜や葬式よりも寂しくなるようで、父の死後、一番母が心細い様子をみせたのが今日だった。



あらためて、この日記に綴った父との最後の日々は、幸せだったと感謝の気持ちがわく。


命の輝きを感じることができた日々だった。


今私は非常勤で保育園に勤めているが、
いつも、子ども達の様子をみて、その生命力、力強い熱を感じている。
誕生したばかりの、キラキラ光る命の輝きである。
この世に生を受け、これからどんどん磨きをかけていく未来を内に秘めた輝きだ。


一方父の命は、終わりを迎えるのを待つ日々で。


しかしそんな命も、たしかに光を放っていた。



子どもが与えてくれる、太陽のような燦々とした光ではない。
喜びに溢れた幸せな、眩しいばかりのものでもない。


それは月のような、微かな光だった。
しかし静かに、ときに厳かに…真っ暗な中に柔らかな光を運んでくれたものだった。


父の介護中、それはいきいきと煌めいた日々ではありえなかった。
真っ暗闇にいる気分にもなり、行く先も見えない不安なものだった。


そんなとき


父が食べられた
父が喋った
父が笑った



暗闇にさす僅かな光が、どんなに有りがたかったことだろう。


生まれたばかりの命のまばゆい光に比べたら
到底及ばない光ではあるが


命とは、終わるときにも輝き、人の足下を照らしてくれるのだと思った。

月明かりの柔らかなあたたかさに今一度感謝をして、今日は父を見送った。