今日もなかなか食べるのが難しい父。


そんな中、昨日から我が家にちょっぴり抗争が。


食べられない
そんな時だからこそ
「美味しいと思うものを」
と考える母と



そんな時だからこそ
「栄養剤的なものを」
と考える兄。



嫌な思いをさせないのが「父のため」という母。


嫌がるのはわかるけれど、栄養を摂ることが「父のため」という兄。



この「アナタのために」という感情は、普通に生活している上でもやっかいなものだ。


「アナタのため」
とはいいつつ、それはときに
「自分のため」であったり。
自分が良かれと思っていることが、相手にとっては全く有り難くない場合はよくあること。



それでも、たとえば怪我をしたスポーツ選手が、リハビリを頑張れば再起できる時。
痛くて嫌だ、辛いと本人が言っても、厳しくリハビリを頑張ってもらう…などというのは「アナタのため」。
きっと復帰した暁には
「頑張ってよかった」と思ってもらえる類いのもの。


でもそれにしたって、本人がやりたくないなら、それで再起不能になったとて(周りが間違っているといくら感じても)本人の決断であって、その気持ちを尊重しないのは傲慢ともいえるかもしれない。


父の場合はどうだろう?
嫌な栄養剤を頑張って食べて、少しは寿命が延びて…「頑張ってよかった」と思うならば、誰か?

それは、結局我々家族であって、父ではないのは確かだ。


家で看取るという覚悟をしたとき、最期は家で…というのは、父もそれが快適で望みだろうと思ったから。


なぜ、今家にいるのか?
なぜ、家で看取るのか?

それを考えると、母と兄の間に立っている私としても、母に加担せざるをえない。


今日はなかなか食べてはくれなかったものの、好きらしい朝マンゴーをエンシュアに混ぜたら、進んで口を開いて食べてくれた。


やはり、好きなものなら少しは食べられる。

でも、それだけでは絶対栄養が足りない中、兄が栄養摂取に懸命なのは有難いことだ。


食べたくない父には申し訳ないが、嫌な思いをさせたくない母や私だって、父と少しでも長く一緒にいられたら嬉しいのだから。


無理して薬入りゼリーなど食べてもらうときは
本当に

「私たちのために頑張ってくれてありがとう」
と思う。


もう少し、父には甘えさせてもらい、ちょっと頑張ってもらうけれど、できるだけ嫌な思いをしないように、食事を考えていこうと思う。


しかし、日々父のために…ばかり考えている私が、いくら「お父さん!」と呼び掛けても完全無視なのに


声色を変えて
「籠籠(名前)さん!」
と言ったら
「はいっ!」
とは…。父のため…なんて思うのが自己満足だと自覚してはいても、
父の外ヅラの良さはなんだか悔しい(笑)。