今日は父が覚醒した!



朝から元気があり、水分摂取も好調な滑りだしだった。


そして、訪問介護の男性の方がいらっしゃると、さらにゴキゲンに。


おや??
なぜ??


女性ではないのに、何故にそんなにそのヘルパーさんのことを見つめてニコニコするのだろう?

そういえばそのヘルパーさんには、初対面のときからなぜか、父は反応が良かった。



不思議に思っていたのだが…
そのヘルパーさんとの話の流れで合点がいった。


その方は、もともとは写真家だったそうで
絵描きの父は、自分と同じ匂いを感じたのだろうか?

「僕は写真なんですよ〜」とのお話に
「ほう〜」と嬉しそうに応じていた。


アーティスト同士、なにかしら通じるものがあるのだろう。


あまりの上機嫌ぶりに
「お父さん、もしかしてソチラも?」
などと下世話なことを一瞬思ってしまったことを反省。素人にはわからない、プロ同士の空気だったようだ。



今日は更に嬉しいことが続いた。昨日から始まった訪問看護の看護師さんに
「こんにちは」
と声を掛けられると
「おお、こんにちは」
とはっきり応えたり


母が
「お母さんですよ〜」
と言ったら
「お父さんですよ」
と応えたり。
そんな「会話」が成立したのは本当に久しぶりのこと。


最近は
「はい、はい」
以外の言葉はほとんど耳にしていなかっただけに、ここ数日間の様子にびっくりする。


極めつけは、父の手のひらに筆を乗せてみたら、自分で持ち変えて、絵を描く動作を見せたことだ。



父の描く絵は
「南画」という墨を使う水墨画のジャンルなのだが、
書道とは違い、筆を寝かせて描くもので、微妙な筆さばきのテクニックがある。

父の様子を見て、あわてて筆を濡らし絵の具を付け、スケッチブックを差し出してみたら、南画を描くときの筆使いをみせてくれた!
筆を手にしたとたん、その南画の筆の運びで手を動かし始めたのだ!


私は物心ついた頃から、父が絵を描く姿をみてきた。アトリエにこもって作品に取り組む以外でも、なにかしら手元の紙に絵を描いていた。何気なく置いてある果物だったり、自分の手だったり、いつも何かをスケッチしていた。


「やらなくては」
と努力しているわけではなさそうで、やりたくて、描きたくて自然に父は、一日中絵を描いていたようだった。


私は、かつて父が理事長を長く務めていた団体に所属して絵を習ってはいるのだが…

スケッチしなくては…描かなくては…とは思っても、なかなか努力できない。


そんな私からすると、父がやっていたことは多大な「努力」で苦行なのだが


父にとっては一日中絵を描き続けるのは当たり前のことで、自分が「努力」しているつもりなんて全くないようにみえた。


好きこそものの上手なれというが
「プロ」とは、そんなものなのかなと感じる。
努力をしているなんて感じずに、当たり前として常人以上の、端からみたら「努力」みたいなことができること。


ちょっと話が逸れるし、これは個人的な意見だと前置きして述べると


私は、仕事について「自分は努力している」という人を胡散臭く感じてしまうことがある。プロならば、どんなに努力をしたとしても、それは「義務」だと思うからだ。そして、それを義務だとも思わずにできるのが本当のプロなのだと私は思っている。



今日は、父が身体で覚えているプロの「性」を見たような気がして、自然に頭が下がるような、厳かな気持ちになった。


父は、今でも絵描きだった。

世界一わかりやすい介護業界の「しくみ」と「ながれ」

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